2026年7月、俳優のゼンデイヤがレッドカーペットで着用したことで、モントリオール発のブランド「Matières Fécales(マティエール・フェカル)」が大きな注目を集めている。直訳で「排泄物」を意味する同ブランドは、ファッション業界を成り立たせている仕組みの内側から業界を批判するという困難な試みに挑みながら、暫定日程では2026年9月のパリ・ファッションウィークで初日のトリを飾る予定だ。異色の美学を持つ彼らがどのように主流の支持を獲得し、その過程でどのような矛盾を抱えることになったのかをひもとく。■異色のブランドがファッション界を席巻するまで2026年7月14日、クリストファー・ノーラン監督の映画『The Odyssey』のニューヨークプレミアで、ゼンデイヤが背中から羽が弧を描く白いストラップレスドレスをまとい、レッドカーペットに登場した。彼女のスタイリストであるロー・ローチは、そのドレスのブランドを尋ねる当然の質問に、「Fecal Matter(フェカル・マター)」と2語で答えた。翌日にAP通信が報じたこの瞬間は、直訳で「排泄物」を意味するモントリオール発のブランド「Matières Fécales(マティエール・フェカル)」が、ファッション業界を支える仕組みの内側から業界を批判するという、理論上は不可能とも思えることを実践し、2026年で最も話題を集めるファッションブランドとなったことを端的に象徴している。同ブランドの躍進を示す事例は数多い。2月の第68回グラミー賞ではレディー・ガガが黒いフェザードレスを、5月のカンヌ国際映画祭ではデミ・ムーアがほつれを施したピンクのボールガウンを着用した。また、ジェフ・ベゾスが共同ホストを務めたメットガラでは、サラ・ポールソンがドル紙幣で形作られた目元を覆う「マネーマスク」を身につけた。そして今度は、カイリー・ジェンナーがダンキンのテレビCMで同ブランドを着用している。この最後の事例こそ、立ち止まって考える価値がある。社会学者のピエール・ブルデューは1993年に、ディック・ヘブディジはそれよりも早く、まさにこうした状況を予見していた。両者の理論的枠組みは、マティエール・フェカルがいかにファッション界を制したのかだけでなく、その成功がどのような代償を伴うのかも説明している。同ブランドは、2026年9月28日に始まるパリ・ファッションウィークの2027年春夏コレクションで、初日のトリを飾る予定だ。NSS Magazineによれば、この時間枠は通常、全盛期のアレキサンダー・マックイーンに匹敵する水準のブランドが担うものだという。この暫定スケジュールは、2026年7月24日にFashionistaが確認した。■なぜ「排泄物」という名を選んだのかハナ・ローズ・ダルトンとスティーブン・ラジ・バスカランは、モントリオールのラサール・カレッジで学生として出会った。ダルトンは、衣料品労働者1,134人が犠牲となった2013年のバングラデシュ・ラナ・プラザ崩落事故を受け、ファッションの華やかさを陰で支える仕組みに異議を唱えることは、キャリアを懸けるに値すると考えて同校に入学していた。一方、バスカランには漫画制作の経験があった。2人は髪と眉を剃り、顔を白く塗り、人間と異星人、美とグロテスクの境界を意図的に揺さぶるルックを作り上げた。ブランド名は、意図的なコンセプチュアル・アートの実践だった。ダルトンはVogueのセレブリティ・レッドカーペット特集で、「ほかに言い表す言葉はありません。でも、どうすればグラマラスに言えるだろうと考えたんです。それで、『fecal matter』なら科学的な言葉だ、となりました」と振り返っている。彼女によれば、フランス語に訳すと「ずっとグラマラスに聞こえる」という。この名前には、買い手を選別する機能もあった。バスカランがポッドキャスト番組「Fashion Neurosis」で語ったところによると、ファッションの浪費的な側面に異議を唱えるとともに、買い手がブランド名の威光ではなく、デザインを理由に服を選ぶよう促す意図があったという。この起源は、ブランドの立場を理解するうえで重要である。彼らは挑発そのものを目的とするファッション界の扇動者ではなく、明確な批評を持つデザイナーとして位置づけられるからだ。その批評とは、ファッション業界とは本質的に、憧れという装いをまとった排泄物ではないか、というものである。ブランド名そのものが、彼らの主張を表している。■ドーバーストリートマーケットによる「制度的承認」ブランドは当初、個人間で中古品を売買するマーケットプレイス「Depop」を通じて支持を広げた。そこでは、従来の小売業界の門番を介さず、独自性の強い美学が早い段階の支持者と出会うことができる。2019年にはロンドンのセルフリッジズでコレクションを展開した。しかし決定的な転機は2024年、マドンナのコンサートの舞台裏で訪れた。コム デ ギャルソンの社長で、ドーバーストリートマーケット(DSM)の共同創設者でもあるエイドリアン・ジョフィがブランドの創設者たちと出会い、DSMのエコシステムに招き入れたのだ。DSMがマティエール・フェカルにもたらした支援には、明確な仕組みがある。それを理解するには、まずDSMがどのような存在かを知る必要がある。2004年に川久保玲とジョフィによって設立されたDSMは、自らを「美しきカオス」と表現する、複数ブランドを扱うコンセプトストア兼インキュベーターである。これまでにウェールズ・ボナー、マリーン・セル、ERLなどを熱心な一部の支持者に知られる存在から、広く認知される存在へと押し上げてきた。パリの拠点「3537」は、新進ブランドに生産支援、流通網、販売インフラを提供するが、所有権を取得するわけではない。DSMはブランドを買収するのではなく、関係を結ぶことで正統性を与え、規模拡大を可能にする運営基盤を提供している。ジョフィは、ブランドのソーシャルメディアにおけるフォロワー数には関心がなく、製品そのものを最優先すると語っている。この考え方は重要である。DSMによる支持が、インフルエンサーの話題性とは異なり、オートクチュールの領域における制度的な承認であることを示しているからだ。学術誌が論文を採択することに相当する、ファッション界での評価といえる。ピエール・ブルデューが1993年に発表したオートクチュールの分析は、まさにこの力学を説明している。彼の枠組みによれば、文化生産の領域に新たに参入する者、すなわち「挑戦者」は、自らの作品が重要だと宣言するだけでは正統性を獲得できない。彼らの象徴的資本を、その領域で認められる地位へ変換するには、出版社、ギャラリー、キュレーター、ディーラーなど、価値を公認する機関が必要になる。マティエール・フェカルにとって、DSMがその役割を果たした。ドーバーストリートマーケットのブランド開発ディレクター、オーギュスタン・モニエはAP通信に対し、「これほど短期間で彼らが築き上げたものは、世界観の構築と自分たちの世界を作り出すという点で、本当に驚異的です。そこには確かなストーリーテリングがあります」と語り、この制度的な仕組みを裏づけている。■コレクションが発信する社会的メッセージ2025年3月に発表された同ブランド初のパリ・ファッションウィークのコレクション「The Other」では、黒く塗りつぶされた目、白塗りの顔、にじんだ赤い口紅が用いられ、クリスチャン・ルブタンを象徴する赤い靴底のヒールとのコラボレーションも披露された。France 24による2025年3月のデビューショーのレビューによれば、コレクションは「アイデンティティを恐れずに表現することへの賛歌」と説明されていた。続く2026年秋冬コレクション「The One Percent」は、さらに踏み込んだ内容となった。世界で最も裕福な1%が世界の富のほぼ半分を所有していることを示すOxfam(オックスファム)の調査を明示的な着想源とし、ショーにはドル紙幣のアイマスクや赤く塗られたオペラグローブを身につけたモデルが登場した。NSS Magazineによる2026年秋冬コレクションの報道も、ショーのデザインに政治的な意図があったことを伝えている。ショーノートには、次のように記されていた。「権力は私たち全員に関わる問題です。私たちを統治する者たちによって腐敗させられているときも、最も必要なときに存在しない場合も、私たちは皆、権力と何らかの関係を持っています。そして、まさにそれがこのコレクションのテーマなのです」。Oxfamの2026年の報告書によれば、ビリオネアの資産は2025年に16%増加し、18兆3,000億ドル(約2,891兆円、1ドル=158円換算)に達したという。また同ブランドは、批評家から虚栄的な不老不死の実験と評される取り組みに資金を投じるテック業界のビリオネア、ブライアン・ジョンソンを2026年秋冬のランウェイに招いた。このキャスティングは、コレクションが扱う対象そのものをショーの中に組み込むことで、風刺性を一段と際立たせるものだった。■サブカルチャーの商業化とアイロニーここで、ヘブディジの理論が重要になる。1979年の著書『サブカルチャー:スタイルの意味』で、ヘブディジは、サブカルチャーのスタイルは社会に対する拒絶として機能し、支配的な社会秩序に対して「相対的な自律性」を主張するアイデンティティを構築する手段になると論じた。しかし、1988年の著書『Hiding in the Light』では、商業文化が反覇権的なスタイルを取り込み、さらには自ら生み出す力を持つことを過小評価していたと認めた。彼が記したように、「抵抗としてのサブカルチャーと、楽しみの提供者であると同時に覇権の道具でもある商業文化との境界線は、実際には非常に引きにくい」のである。マティエール・フェカルは、まさにその境界線上に位置している。ファッションの有害な過剰を批判するため、自らを排泄物にちなんで名づけたブランドが、今やコーヒーとドーナツのチェーンのテレビCMに登場している。ファッション評論家ELSが2025年に発表したエッセイは、この構造的な逆説を的確に捉えている。edieloustudio.comに掲載されたアバンギャルドについてのエッセイには、次のように記されている。「急進的なシルエットやコンセプトは慣習を揺るがすかもしれないが、数カ月もすれば複製され、商品化され、あるいはアーカイブに収められるおそれがある。この絶え間ない循環のなかで、アバンギャルドはシステムの外部から挑戦する存在ではなく、そのエンジンとなる。変革は、ファッションという機械を動かす予測可能な燃料になるのだ」。同ブランドを擁護する人々には、影響力のある人物もいる。彼らは、この矛盾は偶然ではなく意図されたものだと主張する。カンヌでデミ・ムーアに「The One Percent」コレクションを着せたセレブリティ・スタイリストのブラッド・ゴレスキは、その作品を彼ら自身に忠実なものだと評価している。「彼らは自分たちのために服をデザインしています。それこそが偽りのない彼らの姿です。そして、それをまったく別の観客に届けています」。同ブランドがパリ・ファッションウィークで開催した3回のショーすべてに出席したファッションライターのクリステン・ベイトマンは、ブランドの独自性こそが模倣から守る力になると捉えている。「シャネルやディオールのようなハイファッションブランドを見ていると、すべてが似通って見え始めます。でも、これは独自のカテゴリーに属しているように感じます。複製することはできません」。創設者たち自身も、置かれた状況を冷静に認識しているようだ。「私たちは毎日、どういうわけか自信を持って、こんな姿で外を歩き、こうしたことをしています」とダルトンは語っている。「業界に対しても同じです。最前列に誰が座っているかといったことで、私たちが変わることは