韓国政府が新たに導入する、通称「韓国版IRA」の生産税額控除は、サムスン電子やSKハイニックスなどの半導体大手に恩恵をもたらすと広く報じられているが、実態は異なる。同制度は国内での販売を条件としているため、主な受益者となるのは輸出主導の大手ではなく、国内の素材・部品・装備(MPE)サプライヤーだ。具体的な対象品目や控除額は2027年2月の施行令改正で確定する予定であり、それまでは制度の経済効果も不確定な部分が残る。■韓国版IRAの実際の仕組み韓国の新たな「韓国版IRA」は、半導体を含む6つの戦略産業を対象とする10年間の生産税額控除だ。世界の主要なAIアクセラレータに使われる広帯域メモリ(HBM)を製造するサムスン電子とSKハイニックスにとって、大きな恩恵になると広く受け止められている。しかし、実際にはそうではない。控除を受けるには国内販売という条件を満たす必要があるため、実際に恩恵を受ける可能性が高いのは韓国国内の素材・部品・装備サプライヤーであり、一見すると政策の中心に見える輸出大手ではない。8月7日、韓国の産業通商資源部は、8月3日に税制発展審議委員会で承認された2026年税制改編案の実施を確認した。同日、SKハイニックスの取締役会は、54兆3000億ウォン(約6兆円、1ドル=158円換算)の新規半導体工場への投資を承認した。内訳は、清州(チョンジュ)のNANDフラッシュ専用施設に19兆1000億ウォン(約2兆円)、龍仁(ヨンイン)の第2工場に35兆2000億ウォン(約3兆9500億円)である。これは同社史上最大の1日当たりの設備投資決定であり、韓国のメモリ大手が重視しているのは新たな生産税額控除ではなく、投資税額控除であることを鮮明に示している。韓国版IRAは、韓国が数十年にわたって採用してきた産業支援の仕組みからの構造的な転換である。これまでの税制支援は「投入ベース」であり、企業は設備、研究開発、人員にどれだけ投資したかに応じて控除を受けていた。2026年税制改編案は、この考え方を全面的に転換する。新制度では、国内生産量に製品1単位当たりの固定控除額を掛けた金額を、法人税または所得税から控除する。対象となる6分野は、半導体、二次電池、太陽光発電、風力発電、主要素材・部品、AIロボット部品である。控除期間は2027年1月1日から2036年12月31日までで、企業が大規模な設備投資を判断するのに十分な期間を確保するため、10年間に設定されている。単位当たりの控除額と各分野の対象製品の全リストは、2027年2月に予定されている施行令改正を通じて確定する。この制度は、米国のインフレ抑制法(IRA)が採用する生産量ベースのインセンティブ構造と、日本の類似制度を直接のモデルとしている。日本の制度では、国内で生産された半導体イメージセンサー1個当たり1万8000円、国内で生産されたグリーンケミカル1トン当たり5万円の控除が設けられている。米国や日本の制度と同様、韓国の控除も設備への資本投入ではなく、販売された製品という成果に対して優遇を与えるものだ。■サムスンとSKハイニックスが越えられないハードルこの政策をめぐる報道で一貫して十分に取り上げられていない点がある。控除の対象となるには、企業が製品を国内で生産するだけでなく、国内で販売しなければならないことだ。この2つ目の条件が、韓国の2大メモリメーカーにとって決定的なハードルとなる。サムスン電子とSKハイニックスは、半導体総生産量の90%以上を海外に輸出している。両社が2026年に生産するHBM、DRAM、NANDは、すでにNvidia、AMD、Apple、ハイパースケーラーなどの顧客向けに割り当てられており、いずれも韓国内を納品先としていない。国内販売という条件は、両社が運用上の工夫によって回避できるような障壁ではない。輸出を中心とする両社のビジネスモデルに起因する構造的な問題だ。広帯域メモリ(HBM)は、大規模AIモデルの学習と推論を可能にする特殊なメモリ技術であり、本稿の焦点となる製品である。HBMは、TSV(シリコン貫通電極)と呼ばれる微細な垂直配線を用いて複数のDRAMダイを縦方向に接続し、その積層体をAIアクセラレータとともにシリコンインターポーザー上に実装する3次元積層DRAM技術だ。JEDECによって標準化され、2015年に初めて商用化された。現在のHBM4世代では、1スタック当たり1TB/秒を超える帯域幅を実現する。従来のDDR5 DRAMは約64GB/秒である。NvidiaのBlackwellプラットフォームからAMDのInstinctシリーズまで、主要なAIアクセラレータはいずれもHBMを必要とする。SKハイニックスは世界のHBM売上高の約58%を占める。サムスンのシェアも、HBM4のNvidiaによる認定が進むにつれて37%に近づいている。SKハイニックスとサムスンが出荷するHBMは、バージニア、シンガポール、東京などのデータセンターに向けて韓国から輸出されるため、国内販売の条件には算入されない。両社にとって、現行案の韓国版IRAによる生産税額控除は、主力製品に対して実質的な直接の税制上の恩恵をもたらさない。さらに、もう1つ構造的な障壁がある。政府の制度案では、既存の統合投資税額控除を受けた施設で製造された製品について、新たな生産税額控除を同時に申請することは認められない。サムスンとSKハイニックスは現在、メモリ業界史上最大規模の設備投資を進めている。サムスンは2026年だけで110兆ウォン(約12兆2000億円)を超える設備投資と研究開発費を投じる計画であり、SKハイニックスが新たに承認した龍仁と清州の工場への投資額は、合計54兆3000億ウォン(約6兆円)に上る。これらの施設では、投資額そのものに高い控除率を適用する既存の15~25%の投資税額控除が利用される。工場への投資税額控除を選択すると、同じ施設から生産される製品について生産税額控除を受けることはできない。ある業界関係者はソウル経済新聞に対し、数百兆ウォン規模の設備投資に適用される投資税額控除を選ぶ方が、サムスンやSKハイニックスが国内で販売できる可能性のある一部製品に対する生産税額控除よりも、「企業の立場からはるかに有利な選択肢」だと語った。■真の受益者は素材・部品・装備(MPE)サプライヤー韓国版IRAの生産税額控除で主な受益者となるのは、国内の素材・部品・装備企業である。半導体製造に必要な化学品、精密機器、ウェーハ搬送装置、ガス、フォトマスク、プロセス材料などをサムスンやSKハイニックスに供給する企業だ。素材・部品・装備(MPE)サプライヤーと呼ばれることもあるこれらの企業は、サプライチェーン上でサムスンやSKハイニックスとは異なる立場にある。製品や部品を国内で製造し、国内の顧客であるサムスンやSKハイニックスに販売しているため、その生産物は韓国外へ出ない。したがって、半導体大手2社が満たすことのできない「国内生産および国内販売」という条件を満たせる。ある業界関係者はソウル経済新聞に対し、これらの企業にとって控除は「実質的な税制上の恩恵」になると述べた。ただし、具体的にどのMPE品目が対象となるかは、2027年2月の施行令によって決まる。これは、韓国版IRAの批判者や多くの報道が見落としてきた側面である。国会の審査委員会は、既存の税制優遇措置との重複や、主要な半導体分野で単位当たりの控除率が生産コストの10%を超えた場合に生じる財政負担について懸念を示した。韓国租税財政研究院も、2026年7月の「財政フォーラム」で、実施に当たって「慎重なペースと精緻な制度設計」が必要だと指摘した。これらの懸念には根拠がある。ただし、主として関係するのはMPE企業の層であり、一般的な報道が注目してきたサムスンやSKハイニックスの層ではない。■地域別の加算措置と地方分散への狙い韓国版IRAの地域別の制度設計も、それ自体に注目する必要がある。この制度はメモリ半導体だけを対象とするものではなく、地域開発の手段でもあるからだ。控除額は所在地によって加算される。ソウル首都圏の企業には基準控除額の1.0倍、首都圏外の主要広域市には1.1倍、その他の非首都圏には1.3倍が適用される。さらに、李在明大統領の「5極3特区」地域開発構想に含まれる、特別に指定された非首都圏の優先地域には1.5倍が適用される。MPEサプライヤーが首都圏に位置する水原(スウォン)と、大田(テジョン)または光州(クァンジュ)のどちらに施設を設けるか検討する場合、後者で得られる50%の追加控除は、10年間の制度期間を通じて無視できない差となる。控除は、財政への急激な影響を抑えるため、最後の3年間に段階的に縮小される。基準額に対する割合は2034年が75%、2035年が50%、2036年が25%となる。この仕組みは、米国の45X条による税額控除の段階的縮小スケジュールとほぼ同じである。米国のIRAとの明確な類似は意図的なものだ。韓国は、45X条の控除によって太陽光発電、バッテリー、クリーンエネルギー分野の製造投資が米国へ向かった状況を見てきた。李政権は、国内生産を維持するためには同等の仕組みが必要だと判断した。特に、サプライチェーンの安定性が最も脆弱なMPE分野が重視されている。■財政面の論理とEVの除外2026年税制改編案に関する企画財政部の要約では、生産税額控除、投資家向け貯蓄口座制度の変更、その他の措置を含む改革全体により、新たな控除を導入しても3兆4000億ウォン(約3790億円)の純税収増になると予測している。生産税額控除そのものは、国内販売条件と既存制度との重複適用禁止によって、財政負担を抑える設計となっている。いずれの規定も、控除を申請できる企業の範囲を大幅に限定する。対象となる6分野から目立って欠落しているのが電気自動車(EV)である。現代自動車と起亜を含む韓国の自動車メーカーは、積極的な働きかけを行ったものの、最終的な制度の対象から外れた。韓国政府は同時に、EVに対する個別消費税の免除を段階的に縮小し、2029年に完全に廃止する計画だ。業界団体は、低価格の中国車が韓国国内で市場シェアを伸ばすなか、これらの措置が重なることで韓国のEV産業が弱体化する可能性があると警告した。EVの除外と、それによって生じた政治的圧力は、国会での審議を通じて2027年2月の施行令の内容に影響を与える可能性がある。■HBMへの補助金ではなく産業政策である理由8月7日、韓国の主要経済6団体である韓国経済人協会、大韓商工会議所、韓国経営者総協会、韓国貿易協会、中小企業中央会、韓国中堅企業連合会は、共同でこの控除を歓迎した。また、2027年の事業計画に反映できるよう、対象品目と単位当たりの基準控除額を速やかに確定するよう政府に求めた。6団体の共同声明は、「戦略産業における国内生産と雇用の保護」に明確に焦点を当てている。中心にあるのはHBMの輸出事業ではなく、サプライチェーンの強靱性と雇用である。この位置付けは正確だ。韓国版IRAは、MPE製品の生産を韓国内に維持し、国内サプライヤーに対して、日本や米国の同業企業が受けている生産税額控除に対抗できるインセンティブを与えるためのサプライチェーン安全保障策である。サムスンやSKハイニックスのHBM事業に対する補助金ではない。両社は、生産税額控除の有無にかかわらず、韓国の新工場に数百兆ウォン規模を投じようとしている。技術的な専門知識、サプライヤー、エンジニア人材が韓国に集中しているためであり、HBM事業を韓国内に維持するために新たな生産インセンティブを必要としているわけではない。この政策の真の価値と成否は、どのMPE品目が対象となり、単位当たりの控除額がいくらになるかを施行令が規定する2027年2月に決まる。その内容によって、控除がより強靱な国内サプライチェーンの構築につながるのか、それとも比較的限られた製造