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DC『The Deadman』が全12号へ延長、魂の消失を量子力学になぞらえる異色ホラー
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財経新聞:最新ニュースフィード
DCコミックスは、2026年8月5日に第3号が発売された『The Deadman』について、当初予定していた全6号から全12号への延長を発表した。本作は単なるゴーストストーリーではなく、魂の消失を量子力学のユニタリティや情報理論になぞらえて描いている点が特徴だ。今回の延長により、宇宙の保存則と魂の消失を巡る哲学的なテーマを、さらに長い物語として掘り下げる余地が生まれた。■「スピリチュアルな数学」は単なる比喩なのか2026年8月5日に『The Deadman』第3号が店頭に並ぶのに合わせ、DCは当初全6号として案内していた同シリーズを第12号まで延長すると発表した。これにより、ボストン・ブランドの物語は倍の長さとなり、W・マクスウェル・プリンス率いる制作チームは、この哲学的な枠組みを1年分の連載規模で展開できることになる。第1号の時点から、これが標準的なゴーストストーリーではないと感じていた読者にとって、延長は意外ではないかもしれない。本作は「保存則」を思わせる発想を中心に構築されており、その設定は現代物理学で議論されてきた情報保存の問題と興味深い対応関係を持っている。プリンスの物語上の前提は、死が算術のような規則に支配されているというものだ。サーカスの空中ブランコ乗りだったボストン・ブランドは、演技中に殺害され、DC作品に登場する神格的存在ラーマ・クシュナによって「すべての魂の管理者」に任命された。彼は犯罪と戦うというより、宇宙の帳簿に生じた計算上の誤りを修正している。第1号のDCの案内文では、ブランドは「スピリチュアルな数学の法則を守りながら、我々が地球と呼ぶこの青緑色の煉獄を、しぶしぶ漂っている」と説明されている。「未知の種のデーモン」が、すでに肉体を離れ、定められた行き先へ向かっている魂を食い尽くしたとき、その行為は単なる殺害にとどまらない。補うもののないまま宇宙の帳簿から一つの量を差し引く行為であり、第2号の案内文によれば、それは「地球のスピリチュアルな数学の神聖さ」を損ない、「すべてをつなぎ止めている脆い接着剤」を脅かす。あるものが補償なしに消滅すれば宇宙の秩序が崩れるというこの設定は、量子力学における「ユニタリティ(ユニタリ性)」を連想させる。ただし、作品内の魂と物理学上の量子情報が科学的に同一だという意味ではなく、両者は情報の消失を許さない構造を持つという点で比較できる。閉じた量子系の時間発展は、通常、ユニタリ演算子によって記述される。ユニタリな時間発展では量子状態のノルムが保たれ、原理上は時間を逆向きにたどることができるため、初期状態に含まれる量子情報が根本的に失われないと解釈される。1970年代、スティーヴン・ホーキングは、ブラックホールが熱的な放射を出して蒸発するという計算から、落下した物質の情報が失われる可能性を示した。これは、量子力学のユニタリティと衝突するように見え、ブラックホール情報パラドックスと呼ばれる問題につながった。ページ曲線、量子極値表面、アイランド公式などを用いた近年の理論研究は、少なくとも特定の理論モデルではユニタリな蒸発と整合する結果を示している。ただし、現実のブラックホールで情報がどのように保持、回収されるのかを含め、問題の完全な解決については現在も議論が続いている。『The Deadman』に登場する魂を食うデーモンたちは、量子力学における情報消失の問題を物語上のイメージとして表現していると読める。彼らは、アイデンティティ、道徳的な履歴、蓄積された人生の記録といったものを、どこにも引き渡さずに消し去る。彼らの存在に対するラーマ・クシュナの動揺は、神学的な警戒であると同時に、物理学者がユニタリティの破れを目撃した場面にも似ている。■保存則としてのカルマ:神学的な構造物理学との類似だけが、本作を支えているわけではない。『The Deadman』の神学的な枠組みは、ヒンドゥー哲学のアートマン、輪廻、カルマといった概念を取り入れている。ヒンドゥー哲学には多様な学派と解釈があるが、一般にアートマンを永続的な自己と捉え、行為とその帰結であるカルマに影響されながら、サンサーラと呼ばれる生死の循環を続けるとする考え方がある。また、サンスカーラは、行為や経験によって形成される潜在的な印象や傾向を指す。この構造を宇宙的な帳簿になぞらえれば、行為の影響は消滅せず、後の生へ持ち越されるという物語上のイメージが成立する。宇宙のバランスとカルマをつかさどる存在として描かれるラーマ・クシュナは、本作におけるこの会計システムの擬人化である。彼女の領域は慈悲というより均衡にある。彼女が守る架空の都市ナンダ・パルバットは、パキスタンにある実在の山ナンガ・パルバットにちなんで名付けられたとされ、DC作品では外界と異なる速さで時間が進む場所として描かれてきた。住民の老化が遅くなるという設定は時間の遅れを連想させるが、これを現実の一般相対性理論だけで説明することはできない。一般相対性理論では強い重力場ほど時計が遅く進むものの、通常は山頂のほうが地表より重力ポテンシャルが高く、時計はわずかに速く進む。したがって、ナンダ・パルバットの時間の流れを説明するには、通常とは異なる質量分布や時空構造など、作品内に明示されていない仮定が必要になる。編集上の観点から見ると、この枠組みにおけるデッドマンの起源には、当時の出版事情が影響した可能性がある。1967年10月の『Strange Adventures』第205号でアーノルド・ドレイクとカーマイン・インファンティーノがこのキャラクターを創造した当時、1954年に導入されたコミックス・コードには、「歩く死体、拷問、吸血鬼と吸血行為、グール、カニバリズム、狼男」の描写を禁じる規定があった。西洋ホラーの典型的な表現は、こうした制限に抵触する可能性があった。一方、東洋神秘主義やカルマ、ラーマ・クシュナを介した霊的世界に根ざす物語は、コードに列挙された禁止事項を避ける方法になり得た。もっとも、こうした創作上の意図が当時の資料で明示されているかは別途確認が必要である。結果としてデッドマンは、復讐や天罰ではなく、宇宙の均衡によって動く独特なスーパーヒーローとなった。■宇宙の生態系における侵入種2026年版シリーズの生態学的なホラーも、同じシステム思考を基盤としている。第2号で登場したデーモンの種は「これまで知られていなかった」と説明されている。これは、既存の霊的秩序が彼らを想定していなかったことを示唆する。この構図は、外来の捕食者や病原体などが既存の生態系に影響を与える侵入生態学の問題になぞらえることができる。ただし、「未知の種」であることだけから、その種が外部から侵入したことや、それ以前の生態系が安定した均衡状態にあったことまでは断定できない。捕食者と被食者の個体数変化を表す代表的な数理モデルに、ロトカ・ヴォルテラ方程式がある。古典的な二種モデルでは、個体数は共存平衡点の周囲を周期的に変動し、通常は安定した不動点へ収束しない。現実の生態系を扱うには、環境収容力、種間競争、捕食効率、空間構造、確率的変動などを含む、より複雑なモデルが必要になる。新たな捕食者の追加によって平衡が変化したり、分岐や絶滅、場合によっては複雑な変動が生じたりする可能性はあるが、天敵がいないことだけを理由に、必ずカオスへ移行するとはいえない。このような留保を置いても、『The Deadman』のデーモンを生態系に現れた新たな捕食者として読むことはできる。すべての魂の管理者であるボストン・ブランドは、従来想定されていた霊的な混乱に対処してきた。魂を食うデーモンたちは、彼の既存の役割では処理できない新しい種類の脅威であり、防御の仕組みを持たない系に現れた捕食者に似ている。全12号への延長は、プリンスがこの生態学的なドラマを、単なる一つのストーリーアークの悪役としてではなく、既存の秩序が想定外の脅威に遭遇したときに何が起こるかという継続的な考察として展開できることを意味する。ただし、これが作者の明示した構想かどうかは、今後の展開を待つ必要がある。■W・マクスウェル・プリンスの形式的プロジェクトこのシリーズが全12号へ拡大された意義を理解するには、プリンスのより広範な創作活動の中に位置づける必要がある。同じくマルティン・モラッツォとクリス・オハロランが作画と彩色を手がけるImage Comicsのシリーズ『Ice Cream Man』(2018年開始)は、形式的な実験を特徴とするシュールレアリスム系のホラーアンソロジーである。プリンスの著者紹介には、自身の創作を「人間のあらゆる経験をチャート形式で表現する」試みとする言葉があり、形式的なシステムを芸術上の枠組みとして用いる姿勢が表れている。これまでには、回文的な構成、韻文、分岐する物語、複数の並行する物語などを採用した号が制作されてきた。その創作姿勢は、『The Deadman』の「スピリチュアルな数学の法則」に明確に表れている。死は神秘的で感情的な出来事であるだけでなく、構造によって支配されているという発想だ。プリンスの表現において、ホラーは血や怪物だけでなく、構造が正しく機能しなくなること、すなわち釣り合っていた方程式が崩れることから生じる。この点で本作は、論理的な逆説を宇宙的恐怖の源として扱ったホルヘ・ルイス・ボルヘスや、世界を支配する規則が恣意的または破綻していると主人公が気づくフィリップ・K・ディックの作品にも通じる、数理的、形式的なホラーの系譜に位置づけることができる。モラッツォの視覚表現も、この形式性を補強している。線画は正確で抑制されており、表現主義的なホラーよりも技術図版を思わせる。オハロランは、『The Deadman』の霊的な領域に特徴的な青緑色を用いている。この色は、生者の温かな世界にも、死の冷たい暗闇にも完全には属さず、その間にある管理領域を象徴しているように見える。この色彩設計自体が、一種の「スピリチュアルな数学」として機能している。批評家の反応も好意的だ。Comic Crusadersは本作を「DCがカルト的人気を持つキャラクターを取り上げ、その奇妙な角を丸めることを拒んでいる」と評した。GeekDadは、コメディ、根源的なホラー、感情表現の精密さを理由に、「完璧なコミックブックにかなり近い」と評価した。AIPTによる第3号のレビューは、プリンスの脚本が「読者の完全な注意を要求」し、手早く読む作品ではなく「ゆっくりとした、思索的な体験」として機能すると指摘した。原文によれば、Comic Book Roundupでは14件の批評レビューに基づいて10点満点中9.1の総合スコアを獲得している。ただし、レビュー件数とスコアは変動し得るため、掲載時点での再確認が望ましい。■意識科学から見る魂の消失このシリーズの哲学的に野心的な部分は、中心的な対立に埋め込まれた情報消失の発想にある。デーモンが移行中の魂を消費するとき、それは単なる殺害ではなく、物語上では還元不可能な情報構造の消滅として扱われる。ここで、神経科学者ジュリオ・トノーニが2004年に提唱した統合情報理論(IIT)は、一つの比較のための語彙を提供する。IITは、意識の存在と性質を、系が持つ因果的な構造と統合情報によって説明しようとする理論である。同理論では、統合情報の量を表す記号としてファイ(Φ)が使われ、Φは理論上、系を構成部分に分割したときに失われる因果的な情報の程度と関係づけられる。IITによれば、意識は単なる情報量ではなく、その系全体に固有の統合された因果構造に対応する。ただし、「Φが高ければ高度に意識的である」という表現はIIT内部の主張であり、意識科学全体で確立された事実ではない。また、IITを魂に適用したり、魂を「高いΦを持つ構造」とみなしたりすることは、科学的な結論ではなく、本作を読み解くための思考上の類推である。IITが意識の包括的な理論として正しいかどうかについては、現